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武蔵野美術家協会の歴史

歴史

1920年(大正13年)武蔵野に野田 九浦※が住まわれ,野田を師とする居仁洞画塾(煌土社)が出来東原 徹※、吉岡 堅二注①らが参加。1929年(昭和4年)に帝国美術学校、(現・武蔵野美術大学)が創立。美術学校は6年後1935年(昭和10年)吉祥寺に残留組と上野毛移転組(現・多摩美術大学)に分裂。
1937年頃(昭和12年)「早旦会」注②塩出 英雄 東原 徹※らが参加、当時、吉祥寺駅前通り(現在のサンロード商店街)に「ナナン」という喫茶店がありそこで「早旦会」メンバーが打ち合わせしたり、地元や中央線沿線の様々な文化人が集まる文化サロンのような場になっていた。
そこに集まる版画家 織田 一磨※や洋画家の江藤 純平※小畠 辰之助※水彩画の水平 譲たちを中心に『吉祥会』(現・武蔵野美術家協会)「朴の会」などが結成され、現在の東急通りに呉服屋があり、その近くに吉井画材店が出来、その中の画廊で『吉祥会』が始まった。
戦争で活動は一時中断、終戦(1945年 昭和20年)後、1954年(昭和29年)10月『吉祥会』が再興され1976年(昭和51年)に第1回『武蔵野美術家協会』に発展し今日に至る。

注①:現 創画会創立メンバー 帝美大 芸大教授歴任
注②:帝美大創立者のひとり  東洋美・アララギ派歌人の金原省吾が命名
※印 吉祥会 ・武蔵野美術家協会会員
※帝美大(武蔵野美術大学)の資料参照

昭和36年会合

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